草原の怪獣は、愛と共に死ぬ 一

2009年07月05日 22:31



 「草原の怪獣は、愛と共に死ぬ」
                          真茶屋 真茶日子

 抽象画家、泥が遺した最期の絵。二人の青春。過去の思い出。
 恋愛ホラー


  第一話 真の遺作は幼きものにより鑑賞され、怪獣は脱出する
 怪獣は久々の来客に胸を躍らせながら、訪問者の顔を覗き込む。幼い。きっと六歳くらいであろう。暗闇の中でも怪獣の目はよく利いた。絵の中の怪獣は、いつも孤独であった。両脇にはいつも幸福な人間がいるのに、それでも孤独であったのだ。
 子供は二人いた。男の子と、女の子。この沈黙と闇の中、双方とも存在に気付いてすらいなかった。怪獣はそっと二人を抱き寄せようとした。しかしそれは出来ない。怪獣は絵の中の存在なのだ。この世界に―、現実世界に干渉することなど出来ない。父に、自分を創り出した「泥」という画家に憎悪を抱いていた。ああ、父よ。何故、あなたはボクを創りたもうた? ボクをこの窮屈な額縁に、誰にも評価されないまま、ずっといさせる気なのか? 女の子の方は泣き出しそうな顔になっていた。怪獣は哀れみの顔を浮かべようとしたが、大きく開かれた口は動かない。男の子の方に目をやった。ただ、ずっと怪獣を見つめている。睨み付けている、と言った方が正しいのかもしれない。
 いずれ女の子の元には、両親が来た。しかし男の子は誰にも気付かれずに、一心に怪獣を見つめていた。一時間ほど見られたであろうか。男の子は俯き加減に、自らこの「倉庫」を出て行った。
 怪獣はその時、初めて知った。この倉庫は墓場なんだな、と。
 泥は前衛的過ぎたのか、それとも単に絵の才能が無かっただけなのか。どちらにしろ、この絵は世間から見放されたことになる。泥が自分を創っているときの表情を思い出す。
 鼻血が出ていた。汗が出ていた。鉛筆がよく折れていた。怪獣の身体は黒く塗りつぶされていく。何よりも濃く、何よりも禍々しく。泥自身に、恐怖感すら覚えさせていたのかもしれない。怪獣は次々と変貌していく自分の身体を見ていつも、陶酔していた。いつかこれが認められるんだろうな、と。
 怪獣の両脇には男と女が描かれた。繊細なタッチで、男は白馬に乗った金髪の紳士。女は服で美しく我が身を着飾り、スカートをふんわりと優しく膨らませている。二人は愛し合っていた。こよなく。怪獣はそれをいつも、傍目から見て、ボクもいつかああやって愛されるんだろな、と夢に耽っていた。
 泥は、男と女はほろ酔いに定評のあるよく寝かせたワインを飲んでから、描いていた。
 泥は、怪獣はムシャクシャした時に書き殴っていた。
 そういえば泥は、ボクを描くとき、いつも自慰をしていた。それでもボクは泥が好きだった。何故かは分からないけれども。多分、そうやって自暴自棄になってことによって出来るのが、このボクなんだろうな、と考えた。
 泥はこの絵を描き終えた後に、血を吐き出して椅子ごと倒れた。そのまま動かない泥を見て、怪獣は何とも言えない失望感を感じた。泥を過大評価していたか、と。それから所詮、人間とはこんなものか、と呆れた。両脇にいる男女に目を移してから、もう一度呆れた。
 怪獣は自我を持ち、自ら絵を抜け出した。ズルッ、と不快な音ともに地面に付いた。今まで立っていた場所とは違う感覚に、しばらく感動していた。それから一歩ずつ歩き始める。倉庫のドアの開け方は知っていた。いや、つい先程覚えた。
 外の世界は無機質な光がとても眩しく、期待していたものとは違うことを知らされた。絵の中のように男女は、上品で美麗な服を着ておらず、交わされる談笑も下品で知性の欠片も無い。関係者以外立ち入り禁止、とレッテル付けられた部屋の扉をもう一度見つめなおす。人間は、自分の存在に気が付いていないことを知る。怪獣は少し寂しい気持ちをそこで幾許かを受け取ってしまったが、品の無い会話に影響される可能性があるだけ幸せかもしれない、とポジティブに捉えた。
 地面は堅く、空気はどことなく汚染されている。顔を酷く歪める。怪獣は大きく溜息をつき、建物の中から出た。
 怪獣は頭を抱える。急に激痛が走った。泥の面影が視界にべっとり張り付くように、怪獣から光を奪ってゆく。口から血を滴り落としている、抽象画家の泥。頭の髪の毛は長く長く伸ばしており、他人と接触することを嫌い、風呂上りには手首にいくつもの傷跡があり、それが痛々しかったのを怪獣は鮮明に記憶している。泥の過去に何があったのかは知らないのに、怪獣は常に泥に同情を寄せていた。視界を覆っているのは自分の両の手であった。それを知れたのは、どんどんと自分の身体が透明になり小さくなっていくことに気付いたからであろう。絵から出た末路が、これか。


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